和寧文化社ものがたり 


◇須田剋太について

島岡達三について

 

和寧文化社ものがたり

 2、民藝と私 丁章著

  3、詩のような縄文象嵌

  4、ラムネ色・琉球ガラス

 













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和寧文化社ものがたり その1

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庶民と芸術の出逢いの場

 

 小社「喫茶美術館」の店内を飾っている絵画はすべて須田剋太(すだこくた)画伯の作品です。

 1987年、おこのみやき店「伊古奈」(1975〜2010)を増改築した際、かねてから私設美術館の建設を夢みていた先代が、その夢の実現への第一歩として、須田画伯の絵画を伊古奈に飾ることを思いつきました。

 しかし、油まみれのおこのみやき屋の店内に、ご自分の絵が飾られると知れば、須田画伯も不愉快な想いをされるのではないだろうか? はたして須田画伯は承諾して下さるのだろうか?

 不安になった先代夫妻は、以前から近所の縁で何かとお世話になっていた作家の司馬遼太郎さんに仲介をお願いすることにしました。須田画伯は司馬さんの作品「街道をゆく」の挿絵を長年にわたり担当しておられます。そのように須田画伯と親しい司馬さんの仲介なら、何とかなると二人は考えたわけです。もともと司馬さんに仲介役を依頼すること自体が相当に図々しいことなのですが、それでも司馬さんは、快く引き受けて下さいました。

 司馬さんの話を聞いた須田画伯は「私の絵をおこのみやき屋に飾りたいとは、どういうことだ」と、すぐに東大阪まで飛んで来られました。

 先代夫妻と初めて会った画伯は、二人の熱意を確認し、そして絵を飾ることの承諾だけでなく、「絵は全部あげるから、どんどん飾れるだけ飾りなさい」と、店内の壁に飾りきれないほどの作品を惜しみなく寄贈して下さいました。その日以来、民藝好きのおこのみやき屋だった小社が、なんと「須田剋太の美術館」という新たな役割を担うことになったのです。

 そして翌年の88年に、美術館を兼ねた喫茶店「喫茶美術館」が誕生しました。

 実は須田画伯、かねてからご自分の作品を庶民が集う飲食店に飾ってもらいたいと願っておられたとのことです。それは、自分の作品が公設の美術館や一部のファンの間だけでなく、庶民の手が届くところに存在してこそ、世の中の文化をより豊かにできるのだという須田画伯の想いだったのではないでしょうか。

 司馬さんの心のこもった演出により、須田画伯の夢と先代の夢が出逢って、そしてこの東大阪の地に、庶民と芸術の出逢いの場が、こうして誕生いたしました。

 喫茶美術館のコーヒーを愉しみながら、何気ない芸術との出逢いをお客様方には日々体験していただき、文化の豊かさを実感してもらえたならと、私ども望むばかりです。

 

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